グループ運営の考え方

先日、自分の研究会の会社に報告書を出した。かなりの成果があったが、これから更に難しく成る。

 グループ運営という名の「仕事」で大切なのは、「自らの工数を他人に託し工数を減らす」という事である。魅力が欠ければ、ブームという名において淘汰されてしまう。建設的な意見を取り入れ、常に考えなくてはならない。

 

近年の傾向では、「費用対効果」という観点から、グループも即過疎化してしまう。

 

その為、「コミュニケーション」という手段で「レクレーション(呑み会)」等の手段を取り入れている会社やグループもある。しかし、自分はこの手段は使わない。レクレーションを否定しているわけでも無いが、他にどのようなやり方があるのかと言うと難しいが「グループの一人一人に会える時にあっている」、確かに非効率なやり方だと考えられるが一人一人の個性や問題や自分自身への問題点の解決も考えられる。

どんちゃん騒ぎの後の二次会や3次会で初めて本音が出るというのを経験している以上は、個別にお会いして、話や素振りを等を観て、自分の気がつかない所も考えられる。

どんちゃん騒ぎでは、会費等の心配があるが、自分の分は自分で払うのであるから問題は無い。ここまでで問題になるのは「協調性が無い」という批判である。

協調性というのは仲良しとは異なる。単に利害が一致するかしないかという味気ないものであって、「良きパートナー」とは異なるのは明らかである。

まぁ、後数年したら。。と、嫌な事もそのように考えるが、『流行が左右しても、動じないチームにすれば良い』というのは難しい様である、しかし実際には容易であった、

『グループのリーダーもグループの一員であり、共に遊び共に疲れるという、強さと弱さを知らせる事である』事にあった。

極論を言えば、対人サービス業なので、対等なビジネスとして考える反面、幼稚園の子供達が元気よく遊べる「場」をつくれば良いと考えた。「場」は、当然最初は更地であるが、ある程度の公共工事という投資をすれば、元気よく遊び、疲れて、値落ちをしても良い。しかしながら「必要なモノ」を更に作る場合はチームで作り、そこで、一人一人に会ってきた記憶を辿り、適任な人をリーダーにして、工数をわける。

 ここで重要なのはその「人が疲れる」という事を考える事と、以前合っている人ならばイベントで無理に会わない、それはその「多忙な中、人が工数を処理してくれた」というだけで充分だと考えているのと、イベントやライブ後は非常に疲れている人が多く、イライラする場面も観ている。そのような時は、その人を「開放」してしまうのが一番良いと判断するが、チームの長は「相手を開放する」というのが大切である。

流石に「もういいから、帰って」というのは失礼なので「お疲れ様でございました。帰るまでが何とやらといいますから、帰ったら一言メッセージを入れておいてください。」と言っておく。まぁ慣れて来ると、メッセージも帰ってこないが「場」で遊んでいるのを観て、「大丈夫そうだな」と判断する。

 工数(仕事)を与え、仕事を消化した後は「なるほどあの時はこうだったのか」と「時刻による検証をする」そして「改善策の立案」、つまり「公共工事」の結果として、改善の必要性を考える。

 それは、仕事としてのグループ「運営」で、「また、このチームで仕事がしたい」と自らが願っているからである。

グループでは全員が就労、就学、ロングドライブをする人、アクティブな夜間勤務、とレッドブル等のエナジードリンクに最適な人が多い、限られた時間内に最大のパフォーマンスを出してもらい、最小の時間数でその人を開放する。

それが、グループの長の考え方になっている。